2017年10月24日

悲劇の天才 ジネット・ヌヴー

 久しぶりに室内楽のコンサートに行ってブラームスの三重奏を聴いた。それでブラームスのヴァイオリン協奏曲を聞こうと思い、名演奏はどれか、というのをネットで調べてみた。著名な音楽評論家が集まって審査した結果などというものはなくて、素人、プロの演奏家、評論家などの意見がいろいろと出てくるが、わりと多かったのが、ジネット・ヌヴーというヴァイオリニストの演奏だ。
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 ブラームスの協奏曲は、Prestoclassical というサイトからダウンロードした。ソナタとの2曲で約1500円。シュミット=イッセルシュタット指揮、北ドイツ放送交響楽団、1948年5月3日ハンブルク音楽ホールでのライブ録音。ファイルは、Flac 393kbps 16bit 44.1kHz。約70年前の録音ー勿論モノラルーとは思えない非常に良い音質である。ヌヴーの演奏について何かを書く資格はないが、素人でも大変力強い演奏であると感じられる。

パリに生まれ、5歳でヴァイオリンを始め、15歳の1935年にヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールで優勝した。この時の第2位がダヴイッド・オイストラフであった。そしてオイストラフはコンクールの後、妻に手紙で、「誰も彼女には勝てなかっただろう」と書いている。翌年、ニューヨークでデビューし、一躍スターとなったが、戦争のために演奏活動は中断され、1945年になってロンドンでのデビューを果たした。しかし、1949年30歳で航空機事故により亡くなった。

 1949年10月28日、パリのオルリーからニューヨークに向けたエール・フランスのロッキード・コンステレーション機は、経由地のサンタマリア空港があるアゾレス諸島のサン・ミゲル島で墜落した。乗客乗員48人全員が死亡した。ジネット・ヌヴーは、兄でありピアニストであるジャン・ヌヴーやミドル級の世界チャンピオンであるマルセル・セルダンと共にこの飛行機の乗客であった。ヌヴーがセルダンにヴァイオリンを見せている搭乗直前の写真というのがある。(Aviatechno.netの記事から)

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 ヌヴーについて書かれているものを見ると、遺体はストラディバリウスをしっかりと抱きしめていたというようなことが書かれているのが多いが、誤りである。

 ヌヴーは、ストラディバリウスとガルダニーニを持っていて、2つのヴァイオリンを2重ケースに入れていたが、このストラディバリウスは、アントニオ・ストラディバリウスではなくて息子のオモボロ・ストラディバリウスの作であった。また、ケースは、事故後にアゾレスの農民が持っていたのを発見され返還されたものであって、遺体が抱いていたということはなかった。

パリのヴァイオリン工房の主人のエテイエンヌ・ヴァテロが、1982年にテレビ番組でこのヌヴーのヴァイオリンについての証言をしている。

 「エール・フランスの事故調査委員会の人がヴァテロの工房を訪ね、ヴァイオリンケースを持ってきた。ケースは、1本の壊れた弓ともう1本、ロンドンのヴァイオリン商”Hill and Sons”の銘があり、金と鼈甲で装飾された弓が入っていたが、他には木屑一つなかった。委員会の人に、どこで見つけたのかを聞くと、山の周辺で残骸を調べている時にヴァイオリンの音が聞こえたので、その家に行くと一人の男がその弓でヴァイオリンを擦っていたので、質問したら、それは見つけたものだと答えたという。ヴァイオリンはどうしたのかと聞くと、委員会の人は、「それはまあ、ヴァイオリンは、すごく古く見えた(Vous-savez? Il avait l’air tellement vieux.)」と答えた。ヌヴーのヴァイオリンが生き残っているかどうかは誰もわからない。」

 以上がヴァテロの番組での証言であるが、この後、興味深い事実が紹介される。ベルナール・ランジェッセンというピアニストが出演し、「事故後現地に赴いた在リスボンのフランス領事が事故翌日に一人の漁師がヴァイオリンの頭部(スクロールと言う)を持っているのを見つけた。これがそのスクロールだ」と言って、ポケットから取り出して、ヴァテロに見せると、ヴァテロは、非常に感動した表情で、「間違いなくヌヴーのヴァイオリンのスクロールだ。普段はメガネをかけるけど、これはメガネなしでもわかる。信じられない。自分の父親が、アメリカに行く前にヌヴーに売ったガルダニーニだ。ストラディバリウスではない。」と証言する。番組には、アイザック・スターンも出ていて、感極まって涙を見せるヴァテロの肩に手を当てて、スターンが慰める場面が見られる。

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 ヌヴーの2つのヴァイオリンの運命は不明であったが、このヴァテロの証言で、ガルダニーニは破損したことがわかった。一方、ストラディバリウスの方は、もしかしたら、ケースと弓を持っていたアゾレスの男が持っていたものかもしれない。ただ、ケースは壊れていないのに、ガルダニーニは壊れていたので、ストラディバリウスも同じ運命をたどったのかもしれない。今だったらこのアゾレスの男、つまりケースと弓を持っていた男に、どういう形でケースや弓を見つけたのかなどを質し、さらなる追求が行われたであろうが、いかんせん戦後間もなくの1949年のことであり、放置されてしまったものと思われる。

 下世話な話になるが、調べてみると、アントニオ・ストラディバリウスは、数億円。オモボロ・ストラディバリウスでも1億以上はするらしい。ガルダニーニは少し落ちるが、1億くらいはするとのことである。

 ヌヴーはガルダニーニをアメリカに行く前に買っているが、オモボロ・ストラディバリウスはいつ買ったのだろうか。1890年創刊の英国のThe Stradという弦楽器に関する雑誌によるとヌヴーがガルダニーニを買ったのは、1935年にヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールに出場する前だとされている(2013年2月号)。ジネットはこの時まだ15歳だし、家は金持ちではなかったはずで、一体どうやってオモボロ・ストラディバリウスを買ったのだろうか。当時は、それほど高くはなかったのだろうか。

 さて、ヌヴーはさらに不幸な目にあう。遺体が取り間違えられたのである。しかし、幸い、1ヶ月後に本当の遺体が見つけられ、ペール・ラシェーズというパリの東部にある墓地に埋葬された。

 また、1956年にパリの18区に新たな道路が作られ、ヌヴーを悼み、ジネット・ヌヴー通りと命名された。その道は、クリニャンクールの蚤の市とパリの環状線を挟んで対角線上にある公園の周りの道である。パリに住んでいた時に蚤の市は結構行ったが、当時はヌヴーのことなど知らなかったので、ヌヴー通りに行ったことはない。誠に残念なことをしたと、今では、思う。


posted by chobi at 20:06| Comment(1) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月25日

ヴァレクストラ  並行輸入

イタリアにヴァレクストラという革製品のブランドがある。1937年創業というからそれほどの老舗とは言えないが、知る人ぞ知るブランドである。

アメリカで高級ブランドを販売するデパート、ニーマン・マーカスの創業者のスタンレー・マーカスが1979年に「これがベストだ」(”Quest for the Best”ーベストを求めてー)という本を書いたが、その中で、ヴァレクストラ創業者のジョヴァンニ・フォンタナに言及し、「世界で最も洗練され、かつ高価な革製品と鞄の製作者(”maker of the finest and most expensive leather goods and luggage in the world”)であり、グッチ氏も脱帽する」としている。

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その財布を買った。買うに当たっては、いろいろとチェックしてみたが、その過程で並行輸入品というのに頻繁に出会った。公式サイト以外の販売サイトは全て並行輸入品とあった。2つ折で小銭入れがないシンプルな財布だが、公式オンラインショップで約57,000円とある。イタリアの公式サイトを見ると365ユーロであり、1ユーロ=125円として約46,000円となる。日本の通販サイトの並行輸入品で、同じものがだいたい40,000円弱である。30,000円以下というのもある。

イタリアに行って免税で買っても約37,000円(46,000x0.8)くらい。個人使用として輸入しても関税は、約3600円(37,000x0.6x0.16)。それに消費税とか手数料とかあれば更にコストは上がる。個人が現地で免税で買っても関税等を払えば40,000は超える。更に言えば、イタリアとの往復の旅費や宿泊などの経費もかかる。大量に買うから安く買えるというようなことはあろうはずがない。そういうものが40,000円以下で売られている。これをどう考えたらいいのか。並行輸入品を買うかどうかは一つの決断と言えるだろう

ヴァレクストラで検索して出てくる販売サイトとか個人のブログを見ると「イタリアのエルメス」と書かれている。ちなみにエルメスの定番の2つ折の財布(ヴォー・エプソン)は17万円以上する。もちろん、エルメスのように良いものだという意味で「イタリアのエルメス」と言っているのだが、では、誰が言い出したのだろうか。誰かが何かをネットに書くと知らないうちにそれが定説になったりするが、「イタリアのエルメス」説は日本でだけ言われているのではなさそうである。

G・フォスターという、インドの、しかし、世界的に名を知られているデザイン雑誌の編集長が2016年にそう書いている。また、ニューヨーク・マガジンという文化やファッション関係の有名な雑誌のファッション担当部長だったH.M.パウエルという人が、2009年に、ヴァレクストラを好きな理由の一つとして、「イタリアのエルメス」と書いている。そのへんが最初かもしれない。ただ、ヴァレクストラにしてみればウチはウチという気持ちはあるだろうが、相手のエルメスは1837年創業で100年の長があり、エルメスよりウチの方が、、とまではなかなか言えないだろう。

 ヴァレクストラのホームページを見ると、ミニマルではっきりした(minimali e definitive)デザインは、ミラノ創業以来の伝統である「均衡と節度(equilibrio e sobrietà) 」という価値を反映したものであると書いてある。ゴテゴテしていないデザインやロゴが外から見えない場所に刻印してあるなどは、さりげなく高級品を持っているという、裏返しの自己顕示欲を満足させるものといえる。

 他方で、ヴァレクストラという名前そのものは謙虚ではない。ミラノのファッション誌” MFFashion"によると、Valextraという名前は、Valigeria(革製品店)と Extra(極上の)を合成したものだという、つまり「極上の革製品店」という意味になる。創業の時に命名したわけだから、最初から、極上のものを作るという自負と決意をもって始めたということなのだろう。

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 さて財布そのものであるが、サイズは、カードを4枚とお札を数枚入れた場合の実測で、105mmx90mmx20mm.。厚みの20mmは、一番厚い折り返し部分の厚みである。色は、革製品ではあまりないオフホワイトを買ったのだが、実際はややかすかにベージュがかかっている感じである。革は、グレインド・カーフスキン。エンボスは、やや四角っぽいエンボスである。エンボスは2種類あるようで、オフホワイトの場合はこの四角っぽいエンボスで、例えば、オイスター色の場合には、丸い粒状のエンボスとなる。色によってエンボスが決まっているようであり、色付け方法との兼ね合いでそうなるのか、その辺はわからない。

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  オフホワイト                 オイスター


 満足できる品物であるが、重大な?欠陥があった。2つ折としてはやや小ぶりかなという印象があるのだが、まさに、小さいのである。お札は入る。だが、カードはギリギリで、押し込まないと入らない。非常に使いにくい。ATMに行くたびに悪戦苦闘させられる。
 
 そこでイタリア本社のカスタマーサービスにメールで照会したら、日本のカスタマーサービスから返事をするという返事が来た。イタリア的横着さと言わざるをえない。で、日本のカスタマーサービスから来た返事は、革は最初は硬いけど経年変化で柔らかくなる、というものだった。しかし、買ってしばらくの間は、不便だというのは製品として完全とは言えない。多分1、2mmカードスロットの幅を広げればスムースに出し入れできるようになると思われるのに何故そうしないのか不思議である。これもイタリア的横着精神か?
posted by chobi at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ファッション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月21日

サブリナ

以前アラン・ドロンが帽子のつばを下向きにするやり方を書いたが、実は、それより古い映画で同様の場面に遭遇した。「麗しのサブリナ」である。1954年の作品。アラン・ドロンの「ボルサリーノ」は1970年。

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食事を終えて帰宅する車の中で、運転するライナス(H.ボガート)の帽子のつばをサブリナ(A.ヘプバーン)が手を伸ばして下向きに折るシーンである。その時のサブリナのセリフが、字幕は「しめっぽい帽子でパリは歩けないわ」と出る。英語は、”We can’t have you walking up and down the Champs Elysees looking like a tourist undertaker.” 

Tourist undertaker というは、多分団体旅行の添乗員という感じではないかと思う(旅行者を案内する添乗員ではなくて、そういう旅行を企画オーガナイズする請負業者という意味かもしれない)。どっちにしても格好悪い人の代表のようであり、そういう意味では「しめっぽい帽子」というのはうまい意訳かもしれない。1954年に「添乗員」とか言っても誰も理解しなかったと思われる。

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この場面でも他の場面でもボガードは黒い帽子を被っているが、それはボルサリーノに代表されるフェドーラでなくてホンブルグである。ホンブルグはつばが狭く厚手であり、頭に1本の溝が通り、全体として硬そうに見える。チャーチル首相のホンブルグがよく知られている。フェドーラは、つばが広めで全体として柔らかい感じがする。インデイアナ・ジョーンズの帽子がフェドーラである。
ライナスは仕事の鬼というキャラクターとして描かれており、黒いホンブルグに傘とブリーフケースを持つというのがこの時代のニューヨークのビジネスマンの正装であったということがわかる。他方、ボガートは、チャンドラーの「3つ数えろ」(原題は”The Big Sleep”)で、私立探偵マーロウを演じた時にはフェドーラを被っている。

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この映画でパリは重要な意味を持った場所だがパリにロケはしていないようである。注意してみると、パリの景色は2箇所に出てくる。料理学校の丸い窓から見えている降る雪とエッフェル塔。サブリナの部屋の窓から見えるモンマルトルとサクレクールの夜景。サクレクールは丘の上にあるが、サブリナの部屋から見える角度からするとモンマルトルの丘を南東に下った辺りの建物から撮った映像を背景として利用したと思われる。パリは新築の建物の高さの制限が厳しいので、今でも60年以上前と同じ景色が見られるかもしれないと思うとパリの良さというのがなんとなく偲ばれる。

映画俳優が共演者と恋に落ちるというのはよくありそうな話であるが、ヘプバーンとホールデンもこの例に漏れない。2人の関係は、当時も一部に知られていたし、その後の暴露本などでも明らかにされている。最近も2015年にエプステインという人が書いた「オードリーとビル」に詳しく書かれている。映画と違って、ヘプバーンの心がボガートの方に傾くということはなかった。むしろ、ヘプバーンは、ボガートが怖かった(”terrified”)と述懐している。

ボガートの方はどうだったかといえば、ヘプバーンについて、「彼女はすごいよ。20回も撮り直しを許してあげれば。」とプレスに言っていたというから、まあ、いい感じは持っていなかったと想像される。

ボガートと監督のB・ワイルダーとの関係も良くなかった。G・フィリップスという人の書いたワイルダーの伝記の中で、あることからボガートがワイルダーを「ナチのチクショウ野郎」(”Kraut bastard Nazi son-of-a-bitch”)と罵った時に、ワイルダーはボガートに「ミスター・ボガート。才能のある俳優もいるし、クソみたいな俳優もいるが、ミスター・ボガート、あなたは、才能のあるクソだ」(”Mr.Bogart, some actors are talented and some actors are shits. You, Mr. Bogart, are a talented shit.”)と言い返したということが書かれている。

ボガートとホールデンの関係も悪かった。ある時、ホールデンが酔っ払って満足にセリフも言えなかったことがあり、ボガートがそれを罵り、殴り合いの喧嘩になったという。

要するにこの映画は、ボガートと他の3人(ワイルダー、ヘプバーン、ホールデン)が対立関係にあり、ヘプバーンとホールデンが不倫(ホールデンにはこの時すでに妻子があった)の関係にあるというゴタゴタの中で作られたものであるが、映画を見る限り、もちろん、そういうことは全く感じさせないわけで、その辺がまさしく監督や俳優の腕前ということになるのだろう。ただ、全編を通じてボガートの表情は、あの「しかめっ面」で重ったるい感じで、「アフリカの女王」の中などで時折見せた明るい笑顔はなかったような気がする。

posted by chobi at 19:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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