2019年06月03日

薔薇の名前(4)

CIMG4587のコピー.JPG
 What’s in a name? That which
 we call a rose
 By any other name would
 smell as sweet

 名がなんじゃ?
 薔薇の花は、他の名で呼んでも、同じやうに
 善い香がする。(坪内逍遥訳)

 

2019年5月7日

 CIMG4610のコピー.JPG名前になんの意味があるというの? 
 薔薇の花を別の名前で呼んでみても、その
 甘い香りは失せはしない。
          (福田恆存訳)


2019年6月1日

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 シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」
 の中のジュリエットの台詞。「オー、ロミオ、
 ロミオ、どうしてあなたはロミオなの」という
2019年6月4日    大昔に有名になった台詞のちょっと後のセリフ
            である。

 シェイクスピアについて何かを書くというような大それたことをする勇気はないが、疑問に思うことはある。引用した部分は、あまり、古い英語という感じはしないが、当然ながら古い英語がたくさん出てくる。それはそれで不思議はないけど、「ロミオとジュリエット」の舞台はイタリアである。ロミオとジュリエットはイタリア人である。この人たちが英語を喋るというのがどうもスッキリしない。

 勿論、外国を舞台にした小説が、その国の言葉以外の言語で書かれるということは古来無数にあるわけで異とするに足らない。が、イタリア人の恋人同士が、古色蒼然とした英語で、” Romeo! wherefore art thou Romeo?” などと愛を語るというのはどうしても滑稽な感じがする。こういう恋愛劇は、英国を舞台にしたのでは味気なくて、やはりイタリアだ、という風にシェイクスピアが思ったかどうか、すごく興味深いものがある。

 というようなことを考えながら、少し調べてみると結果は味気ないものに終わった。シェイクスピアはゼロから物語を創作したのではなく種本があるというのである。元々はイタリアに伝わる悲劇の民話みたいなものがあって、ルイジ・ダ・ポルト(Luigi da Porto, 1486-1529)という人が『ジュリエッタ』(La Giulietta , 1530頃)という物語を書いて、何人かの作家を介して英国に渡り、英語版ができ、それをシェイクスピアが読んだということのようだ。その最初のダ・ポルトの物語の舞台がヴェローナであった。
 
 シェイクスピアが自分の戯曲の舞台としてヴェローナがふさわしいと思って書かれたわけではなかった。そういうことは、多分シェイクスピアの研究者の間では常識なのだろう(例えば、鳴門教育大学研究紀要26 2011)。しかしヴェローナを訪れる殆どの人はそういうことは考えもしないであろう。

 ヴェローナはミラノからヴェネチアに行く中間くらいのところに位置する。ローマからヴェネチアに旅行に行く途上で1泊したことがある。夏だったのと古代ローマ時代の円形闘技場に割と近いホテルだったので、夜、ホテルの部屋までアイーダが聞こえていたのが思い出される。ジュリエットの家に行った記憶はない。

写真は、上から、A.ヘプバーン、 H.フォンダ、パパ・メイアン。
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2019年05月04日

密室殺人と窓

 史上初の推理小説と言われるエドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人」(1841)の中で大きな役割を果たしているのがオランウータンと窓の扉である。この窓の扉というか鎧戸というか、それはフランス語で”Ferrade”と書かれている。作中に書かれている説明によると、リヨンやボルドーの古い邸宅の窓の鎧戸でパリの大工は、Ferrade と呼んでいて、下半分は格子状になっているので、そこをつかむことができるとある。オランウータンがそこを掴んで密室に飛び込み二人の女性を殺したのがモルグ街の殺人である。

 しかし、この”Ferrade” という言葉は、ネットのラルース辞書や古語仏語辞典で調べても鎧戸という意味は出てこない。仏語のwikipediaやグーグルで検索しても、仏語の辞書と同じで、「牛などに焼きごてを当てて印をつける」という意味しか出てこない。いろいろなキーワードで画像検索してもそれらしい窓は出てこない。ネットで色々と調べても何も出てこないというのは珍しい。下の写真は見つけることのできた最もイメージ的に近い鎧戸である(下半分が格子状ではない)。
スクリーンショット 2019-05-04 15.41.55.png

 密室殺人というとガストン・ルルーの「黄色い部屋の謎」(1907)が最高傑作であるということになっている。この中で、ルルーは、冒頭、「黄色い部屋の謎」は、ポーやドイルの作った謎以上のものであると宣言した上で物語を始めているほか、話の半ばくらいのところで「ポーやドイルの小説の刑事は、壁についた手形とかそんなものを頼りに馬鹿げた仮説を立てる、、、」と言って、扱き下ろしている。(この手形云々は、S・ホームズの「ノーウッドの建築業者」(1903)を指しているものと思われる。)もっとも、ドイルも、「緋色の研究」(1886)の中で、ポーやガボリオをこき下ろしている。

 ポーは既に故人となっているが、同時代人のドイルは、1907年以降の作品その他でルルーの批判に対して反論はしていないようである。もっともホームズは事あるごとに「論理に合わない事実があるときに、事実を曲解したりしてはいけない」とワトソンに言っている。他方、ルールタビーユは、「自分の論理の輪の中に入ってこないものは証拠として認めない」と言っている。その結果、密室の中での叫び声は、悪夢にうなされた声だったという実に馬鹿げた話になっているし、人が消えるというのも、理屈はわかるが現実にはできない行動と思われ、「黄色い部屋の謎」は、とても最高傑作などと言えるものではない。他方、ホームズの密室というと「まだらの紐」(1892)であるが、これも、ポーのオランウータンが毒ヘビに変わっただけで新鮮味はない。密室殺人というのはどうも無理が多いようである。
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2019年04月12日

ホームズとストラデイヴァリ

 シャーロック・ホームズは、時々コカインを飲むが、また、時々ヴァイオリンも引く。最初の冒険、「緋色の研究」(1887刊)の中で、既に、ヴァイオリンの話が出てくる。

”,,,,at my request, he has played me some of Mendelssohn's Lieder, and other favourites.”

“My companion was in the best of spirits, and prattled away about Cremona fiddles, and the difference between a Stradivarius and an Amati.”

 ところでホームズは、「ボール箱の冒険」(1883)で、ストラデイヴァリを買う。

“,,,,Holmes would talk about nothing but violins, narrating with great exultation how he had purchased his own Stradivarius, which was worth at least five hundred guineas, at a Jew broker's in Tottenham Court Road for fifty-five shillings.”


「ボール箱の冒険」は、1883年の出版であるが、事件が起きたのがいつかは、わからない。また、「緋色の研究」は、1887年の刊行だが、事件は、ワトソンと二人が共同生活を始めてから、すぐに起こったもののようで、1881年となる。ホームズ年代学というのがあって、いろいろな研究家が、種々の事件が何時起こったのか明らかにしようとしているが、「緋色の研究」は、だいたい、1881年が定説のようである。「ボール箱」の方は、1885年とする説もあるが、1889年の方が多いようである。どちらの説でも、「緋色」の方が年代的に早く、その中で、ホームズが弾いたヴァイオリンは、ストラデイヴァリではなさそうである。もしそうなら、ホームズはストラデイヴァリを2本持っていたことになる。

 さて、わからないのは値段である。500ギニーの価値があるのを55シリングで買って大喜びした、と書いてある。500ギニーというのは、525ポンドになる。また、55シリングは、2.75ポンドである。当時の1ポンドが今のいくらになるかは、なかなか難しい問題だが、しらかわという人のサイト「コインの散歩道」で非常に詳しく研究されていて、それによると1ポンドは最低でも5万円にはなるだろうとのことである。それにしても、2.75ポンド=13万7500円は、あまりにも安いと言わざるを得ない。

 では当時ストラデイヴァリは、いくらくらいで取引されていたのか。英国にChambers's Journal という週刊誌があって、1882年から1950年代まで発行されていた。それ自体驚くべきことだが、その1896年7月11日号に、タスカン・ストラッドと呼ばれるイタリアのトスカーナ大公が注文し1690年に作製されたストラデイヴァリの歴史が書かれている。

スクリーンショット 2019-04-12 19.32.26.png

 「1690年にストラデイヴァリは、トスカーナ大公の為に4つの楽器を作製した。1世紀の後、そのうちの1つが消えてなくなり、そして1794年にモゼリというフィレンツエの音楽家がカーという英国人に25ポンドで売った。彼は、楽器を英国に持ち帰り、孫の代になって、1876年に、リカルドという人物に240ポンドで売られた。そして1888年にヒル商会に1000ポンドで売られた。その後、現在の(1896年現在)持ち主に売られたが、2000ポンドという売値は断られた。」
 
 同じ記事の中で、著名なバイオリニストのヨアヒムが持っている4つのストラデイヴァリのうちの一つは、リンゼイ夫人から1200ポンドで買ったが、リンゼイ夫人は、ある人から600ポンドで買い、その人は、また、別の人から180ポンドで買ったという話が出ている。

 このように見るとホームズが買ったストラデイヴァリが500ポンドの価値があるというのはうなずけるが、55シリングで買ったというのは、腑に落ちない。ただ、ホームズは、結構なお金持ちであったから、500ポンドで買ったと書いてあっても読者は納得したはずであって、そうだとすれば、実際にユダヤ商人から55シリングで買ったという人がドイルの身近にいたのかも知れない。
posted by chobi at 20:16| Comment(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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